【フライトの歴史】飛行機誕生直後から第一次世界大戦までの軌跡

大空を自由に飛び回るという人々の夢が飛行機の誕生で叶いました。

今までにはなかった乗り物なので、まだ安全に対するルールなど何一つない状態でした。

また、飛行機をどのように活用したらいいのかも模索していく必要があり、人々は飛行機の使い方のアイデアを出し合い、飛行機は多くの方面に役立つこととなります。

今回は、飛行機の誕生直後から第一次世界大戦までの飛行機の使い道の変化についてみていきましょう。

飛行機誕生直後

ライト兄弟が初飛行を成功させた当時は、どの国も航空機の安全基準を設立しておりませんでした。

なので、個人が自由に航空機を飛ばすことができておりました。

自由に航空機を飛ばすことができたといっても、航空機はとても高価なものでだれもが購入できるものではありませんでした。

航空機はまだ移動手段としてとらえられておらず、フライトの多くはお金持ちのスポーツのように扱われていました。

当時の航空機はとても小さく、現在のように何百人も搭乗して飛行することはできません。

しかし、飛行機により旅行をする日が来ることを信じてやまない人もいました。

世界初の定期運送会社の誕生

フロリダでビジネスマンをしていたP. E.ファンスラーさんは、ミズーリ州のセントルイスで飛行機の製造をしていたトム・ブノワさんにコンタクトを取り、セント・ピーターズバーグから海を越えタンパまでのフライトをすることを提案しました。

ブノワさんは彼の「Safety First エアボート」を提供し、2人の男性がアメリカで最初の定期運送会社になる同意書にサインをし、1913年12月31日に、セント・ピーターズバーグでテストフライトを行いました。

世界で初めての定期運送会社の初めての乗客になるために、航空券が一般オークションにかけられ、A. C. Pheilさんが$400で落札しました。

1914年1月1日に、記念すべき世界で初めての定期運送フライトが行われ、その距離21マイルを向かい風の影響で23分で飛行しました。(その引き返し便の所要時間:約20分)

この路線では、$5で「乗客一人」か「100ポンドの荷物」を運んでくれました。

路線が開通してから間もなく、ブノワさんはもう1機機体を提供しました。

その機体のシールドが強化され、離着陸時の砂ぼこりなどから乗客を守りました。

その後も、マナティ、ブレイデントン、サラソータと需要が見込める路線が次々と導入されていきました。

セント・ピーターズバーグ-タンパの路線は、需要が減るまでの約4か月の間提供されました。

この4か月間で1,205人を運び、誰一人とケガさせることはありませんでした。

第一世界大戦と飛行機の使い道の変化

その後、第一世界大戦が勃発し、航空機の能力が戦争に使えないか注目され始めました。

まずは、敵国の偵察目的に航空機が使われ始めました。

そして1918年には、航空機の使用目的は偵察だけではなく、戦闘機や爆撃機の役目も担い始めました。

その後も飛行機の使い道が考えられ、提案されたのが郵便配達に使うというものでした。

飛行機は戦争で使われる一方で、人々に郵便を運ぶようになり、軍人パイロットが郵便を飛行機で運ぶことで、クロスカントリーの練習となりました。

初めて飛行機で郵便が運ばれたのは、1918年5月15日にニューヨーク・ワシントンDC.間でした。

しかし、そのフライトは華々しいものではなく、パイロットが上空で迷子になり、当初の目的地とは違う飛行場に着陸してしまいました。

その後、1918年8月に軍からアメリカ合衆国郵政公社に郵便配達の権限が移されていきました。

まとめ

ただスポーツのような存在だった飛行機が、手紙を運ぶなど人々の役に立ち始めました。

戦争に使われることにより、さらに飛行機の使い方や進歩は加速しました。

次回は、航空便ルートについてみていきましょう。

【参考文献】

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