【フライトの歴史】気球から動力付き航空機の発明までの軌跡

今では身近になった飛行機ですが、その開発には多くの人の時間と命が犠牲となりました。

ライト兄弟が世界で初めて飛行機を飛ばした人と認識している人は、多いのではないでしょうか。

今回は、そんなライト兄弟が初フライトを成功するまでの飛行機の歴史について、簡単に見ていきましょう。

大空へのあこがれ

人々は長い歴史の中で、鳥のように自由に大空を飛び回る事にあこがれてきました。

鳥の小さな筋肉で大空に飛び立てるのであれば、人間のような大きな筋肉ならできないことはないだろうと考えられていました。

なので鳥と同じような翼を作り、人間も同じように羽ばたき大空に舞い上がろうとしましたが、明らかにパワー不足でした。

当時、鳥の複雑な筋繊維、筋、心臓、呼吸システムなどを理解している人はいませんでした。

それでも、人間も鳥のように羽ばたけると信じてやまない人々が鳥のように大空に飛び立とうと、大きな羽を両手に着け崖から飛び降り、多くの人が命を落としていきました。

哲学者、科学者、発明家は”人間は鳥のように羽ばたいて大空を飛び回ることはできないのか?”という問いに、いくつかの案を提案しましたが、どの提案も人間の体に鳥のような翼を授け自由に大空を飛び回らせることはできませんでした。

鳥からの脱却

1500年代、レオナルドダヴィンチは彼のノートに、上図のような空飛ぶ機械のようなスケッチを書き留めております。

しかし、多くの彼のスケッチは鳥の翼の発想にしがみついたものばかりで、現実化するには問題がありました。

1655年になり、数学者、物理学者、発明家であったロバート・フックさん達は、人間の体では人工の翼を鳥のように羽ばたかせるだけの力は生み出せないと結論付けました。

フックさんは人が空を飛ぶには、筋肉以外の何らかの推進力が必要だと考えていました。

1783年になり、人々は鳥のように空を飛ぶ事から一回離れ、気球が誕生しました。

空気よりも軽いものにしがみつき、地上から浮かび上がることに成功しました。

モンゴルフィエ兄弟により、人が搭乗した状態での気球の初飛行は23分に及びました。

その10日後、ジャック・シャルル教授によりガス気球の初飛行が行われました。

気球の欠点と打開策

気球によるフライトは大衆をしばらくの間、魅了しておりました。

しかし、気球の欠点は風下方向への片道しか移動できないことです。

気球の発明により、人々はリフトを手に入れましたが自由に大空を飛び回るには、「飛行速度の調節」や「飛行方向を自由に選択する技術」など、まだいくつかの問題が残されております。

その一つの解決策として、アジアで2,000年もの間子供たちのおもちゃとして存在していたタコ(カイト)が注目されました。

タコが西の諸国に伝わったのは13世紀ごろになります。

タコは気球との違いは、空気より軽いものでリフトを得ていないことです。

ジョージ・ケイリーさんはタコの研究を行い、翼によりリフトを得ることができることを解き明かしました。

動力付き航空機の研究

ケイリーさんが亡くなってから約半世紀の間、大空に魅了された多くの科学者は、動力付き飛行機の開発に没頭しました。

ウィリアム・ヘンソンさんは蒸気機関で動く固定翼プロペラ機を構想し、大きく飛行機の開発を前に進めました。

さらに、オットー・リリエンタールさんは、丘からハンググライダーのようなもので何度も飛び立つ実験を行い、それを成功させさらに飛行機の開発を前に進めました。

そして、1903年12月17日にアメリカノースカロライナ州のキティホークでライト兄弟が人々の長年の夢を叶えました。

オハイオ州で自転車屋さんを営んでいたライト兄弟は、4年もの歳月をタコの研究に捧げていました。

ホームメイドのウィンドトンネル(風洞)を作り、翼とリフトの関係性の研究を行ったり、エンジンの改良を何度も行いました。

この研究方法がこれまでのアプローチと大きく違いました、

これまでは、物を作ってみて実際に飛ばしてみて結果を得るスタイルがとられていましたが、ウィンドトンネルなどで実際にデータ収集をするなど、より科学的に飛行機の開発が行われるようになったことも、航空業界にとって大きな収穫でした。

まとめ

このように、人々は右往左往したり、長い年月をかけて大空を自由に飛行するという夢をかなえました。

飛行機が移動手段として確立されてまだ年月が浅いので、ヒューマンエラーなど問題が残っています。

さらに、これから空飛ぶ車の開発や自動操縦の導入など、飛行機の歴史はどのように移り変わっていくのか楽しみですね。

 

【参考文献】