前回は、「飛行機誕生直後から第一次世界大戦」までの飛行機の歴史を見てきました。
今回は、その後にアメリカ航空の礎となった大陸横断航空便ルートの制定についてみていきましょう。
航空郵便ルートの拡大
飛行機を使った航空郵便のルートはどんどんと拡張されていき、サンフランシスコとニューヨークを結び、総距離2,612マイルにもおよび、その途中にある13都市も結びました。
航空機を使ったサービスが拡大されていく中で、安全面に関する取り決めやサポートを国が行わなければ、航空機の最大限のポテンシャルが発揮できないと考える人が出てきました。
そんな、航空業界で発言力を持った人がサポート役となり、1926年5月20日にアメリカ議会は、アメリカにおける航空の歴史の礎となる航空取引法を制定しました。
航空取引法と米国商務省の行動
航空取引法は、「航空法」「操縦士の技能証明」「航空機の証明」「航空経路の制定」「ナビゲーションに必要な機器の運用と保守」に関して取り締まりを設け、航空業界全体の安全性を向上させようとしたものでした。
米国商務省は、新たに航空業界の見落としを指摘する支店を新たに設置し、さらに航空機を使った商業の安全性を高めていきました。
航空郵便のビジネスは、このアメリカ航空業界の新たなシステムのもとで運用されることとなります。
商務省は、航空通信やナビゲーションに有効なビーコンの導入を推し進めました。
強力な光を放つ回転式ビーコンを取り付けた約51フィートの(約15m)灯台を、航路上に約10マイルの間隔で設置していきました。
その回転灯の下には、車の車線のように行きと帰りの道が分かるようにするコースライトも取り付けられました。
さらに、そのコースライトはビーコンの番号を示すコードも発信したり、ビーコンタワーに識別番号が記載され、現在地を知る手掛かりとなりました。
まとめ
飛行機が誕生した当時は飛行機を購入するだけの財力があれば、だれでも自由に大空を飛び回れる時代でしたが、アメリカの航空機の安全向上のため国が法律を制定し見張りをする時代へと移り変わってきました。
次回は、パイロットと整備士の資格の制定についてみていきましょう。
【参考文献】